小松則幸


小松則幸

小松則幸(こまつのりゆき 1979年4月21日生)
 [プロボクサー]


 大阪府出身。1997年9月9日、プロデビュー。2002年9月11日、OPBF東洋太平洋フライ級王座決定戦に挑戦。孫正五(韓国)に12R判定勝ちし王座獲得。フットワークとコンビネーションパンチのスピードは出色で、強打の韓国王者に勝利。ボクサー・タイプとしての新境地を拓いたかに見えた。しかしこの試合を最後に、足を止めて打ち合い、相打ちの右ショートパンチでKOを狙うスタイルに変化した。

 2003年2月16日、フィリピンGABフライ級王者でOPBF同級1位の指名挑戦者ロリー・ルナス(フィリピン)に2回TKO勝ちで初防衛に成功。5月5日、パノムデット・オーユタナコーン(タイ)に5回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。8月24日、トラッシュ中沼に12回判定勝ちで3度目の防衛に成功した。この試合はCS局で生中継され、小松の試合が多くのボクシングファンの目に触れる初めての機会となったが、地元判定であると物議を醸した。

 2004年2月15日、エドガー・ロドリゴ(フィリピン)に8回負傷判定勝ちで4度目の防衛に成功。6月26日には小嶋武幸に10回負傷判定勝ちで5度目の防衛に成功したが、9月20日にトラッシュ中沼に12回判定負けで6度目の防衛に失敗し王座から陥落した。

 2005年1月29日、WBC世界フライ級王者ポンサクレック・クラティンデーンジム(タイ)に5回TKO負けで王座奪取に失敗したが、11月22日のトリプルタイトル戦でフェデリコ・カツバイ(フィリピン)とOPBF東洋太平洋フライ級王座決定戦を行い、12回2-1の判定勝ちで王座返り咲きに成功した。

 2006年6月27日、後楽園ホールで初となるOPBF・日本フライ級王座統一戦で内藤大助と対戦し6回KO負けでOPBF王座初防衛に失敗、日本王座獲得に失敗した。

 2007年2月12日、元OPBF東洋太平洋フライ級王者ワンミーチョーク・シンワンチャー(タイ)と再起戦を行い、8回TKO勝ちで再起に成功。7月2日、後楽園ホールにて日本フライ級王者吉田健司と対戦し、乱戦の末6回負傷判定負けで王座獲得に失敗。8月25日、フィリピンPBFスーパーフライ級王者のロイ・ドリゲスと対戦。初回に偶然のバッティングで左目上から出血、試合続行不可能となり、ドクターストップによる1回負傷引き分け。2008年1月5日、タイ国ライトフライ級王者のスリヤ・クロンパジョンと対戦。初回に2度ダウンを喫し、懸命に反撃するも及ばず10回0-2の判定負け。4月28日、タイ国フライ級王者のユーシ・ウアウサンパンと対戦。6回ユーシの右でダウンを喫し敗色濃厚だったが、終盤の懸命な攻勢により僅差ながら10回2-1の判定勝ち。8月3日、WBC世界フライ級第14位のロセント・ベガ(メキシコ)と対戦。僅差ながらも10回3-0判定勝ち。2009年2月8日、元IBF世界ミニマム級王者のラタナポン・ソーウォラピン(タイ)と対戦。初回にラタナポンの左強打を浴びてグロッギーとなり、レフェリーストップによるTKO負け。

 2009年5月13日に東京・後楽園ホールで亀田大毅とのノンタイトル10回戦を戦う予定だったが、4月11日より座禅修行のために赴いていた京都市の寺から13日午後、滋賀県大津市の滝へ数名で向かい、その後滝壺で亡くなっているのが発見された。滝には1人で近づき、誤って足を滑らせ転落し、そのまま溺死したとみられる。

 2009年4月13日死去(享年29)


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