アントワーヌ・ユベール


アントワーヌ・ユベール

アントワーヌ・ユベール(Anthoine Hubert 1996年9月22日生)
 [フランス・レーシングドライバー]


 リヨン出身。2006年からカートを開始する。2010年、「CIK-FIA カーティング・アカデミー・トロフィー」で準優勝。続く2011年の「CIK-FIA U-18 ワールド・カーティング・チャンピオンシップ」では、総合3位となる。

 2013年、「フランス・F4選手権」への参戦が決定しシングルシーターカーデビューを果たす。開幕戦でいきなりポールトゥーウィンを飾るなど、全21戦中11回の優勝を記録して初出場初タイトルを獲得した。2014年は、テック1・レーシングから「ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0」へ参戦。2015年はシルバーストンとサルト・サーキットで2勝を挙げ、総合5位となった。また、「フォーミュラ・ルノー2.0 アルプス」シリーズへゲストドライバーとして出場。エントリーした6レース全て表彰台圏内でフィニッシュする走りを見せた(優勝4回・2位2回)。

 2016年2月、ファン・アメルスフォールト・レーシングはユベールの起用を発表。「ヨーロピアン・フォーミュラ3選手権」への参戦が決定した。2016年11月、ARTグランプリから「GP3シリーズ」のポストシーズンテストへ参加した。翌年2月ARTは正式にユベールの加入を発表、2017年度の本戦へ参戦する形となった。初年度は総合4位、2年目の2018年はシリーズチャンピオンを獲得した(優勝2回・表彰台圏内11回)。

 2018年11月、MPモータースポーツよりアブダビで行われたF2のポストシーズンテストへ参加した。2019年1月、BWT・アーデンはユベールの起用を発表し「FIA フォーミュラ2選手権」フルタイム参戦が決定する。第8戦ハンガリー戦までにモナコおよびフランスのレース2で優勝。この時点での今季のルーキー最多勝数を記録したことから、来季はランキング上でアーデンより上に位置する別のF2チームから参戦するのではという噂が流れたりもしていた。

 2019年8月31日、ベルギー・スパ・フランコルシャンで行われた第9戦のフィーチャーレース(レース1)で大クラッシュが発生する。レース開始直後、いわゆる1周目。チャンピオンシップ争いを繰り広げるニコラス・ラティフィのマシンはミック・シューマッハとの接触で右リヤタイヤがパンクし直後にスローダウン。さらにグリッド後方では、数台のマシンのパーツを破損させる小さなインシデントも生じていた。そのため、先頭が2周目に入るころにイエローフラッグは出たが、全区間のイエローではなく、セクター1は対象外となっていた。そのうえ、ユベールらの後方で起きた出来事であったため、前方に位置するセクター1はグリーンの状態であり、スロー走行に移行せず、レーススピードで走り続けた。

 2周目に入るとトライデント所属のジュリアーノ・アレジのマシンが「ラディオンへの進入時に左リヤタイヤの内圧をすべて失いパンク」。さらにコース左側に向かってスピンを喫してウォールに激突。その際、リヤウイングとシャシーのパーツが破損し、コース上には破片が飛び散った。さらにアレジのマシンは「衝突による跳ね返りを起こし、後続車よりもはるかに遅いスピードでコースへ押し戻された」。

 破片が散乱する様子に気づいたアレジのチームメイト、ラルフ・ボシュングは「自らのマシンを大幅にスローダウンせざるを得ず、アレジとの衝突および破片回避のため、可能な限りコースの右側へと寄せざる」を得なかった。結果的にはその動きが後続のユベールを不意に襲う形となった。 2台のマシンのスピード差があまりにも大きかったため、その時点でユベールにできることはステアリングを右に鋭く切ることだけだったが、この必死な操作も虚しくボシュングのマシンの右リヤにわずかに接触した。 およそ250キロで走行していたユベールは、このわずかな「ボシュングとの接触によってコース外へと押し出され、ラディオンの右側のタイヤバリアに激しく激突」。だがその時点では、マシンのモノコック、特にコックピット部分は無事で負傷した可能性はあるが、死亡には至っていなかった。

 ところが、ユベールのマシンは「タイヤバリアへの衝突で跳ね返りを起こしたうえ、ランオフエリアに留まれず、コース上へ押し戻される形」となった。そこに後方から来たチャロウズ所属のファン・マヌエル・コレアが「ユベールのマシン側面に高速で衝突する」事態となった。 不幸なことに、コレアのマシンは「ラディオンコーナー入口に残っていたアレジのマシンの破片によるパンク」によりマシンを制御できない状況でもあった。さらに「オー・ルージュへの進入の関係でアクセル全開」「ドライバー視点からではラディオンでの異変が死角となったこと」「瞬間的な出来事であったためフラッグによる警告が間に合わなかった」という要素も加わり、コレアから見れば、ラディオンに進入した瞬間、ユベールのマシンが目の前に現れる結果となった。

 コレアはフルブレーキングによって回避を試みたが、衝突までの距離はおよそ50メートルしか残されておらず、その時点の車速は200キロ以上。パンクで多少スピードが落ちた反面、そのせいでグリップが効かないためブレーキがうまく機能しなかったことやステアリングによる回避行動もできず、なす術もなくユベールのマシンのコックピット左側面に激突し、ユベールのモノコックが真っ二つに分断されるほどの大クラッシュとなった。 この衝突で、コレアとユベールの2台の車両はもつれるようにタイヤバリアに突っ込み、コースの中央まで弾き返された。コレアのマシンのノーズが粉砕され足が見える状態でひっくり返る一方、ユベールのモノコックはドライバーの胴体が見えるほど滅茶苦茶に破壊された。

 これらの、アレジから始まりコレアが衝突するまでの一連の流れは、わずか3秒以内に起きた出来事であった。
アントワーヌ・ユベール2


 レースはすぐに赤旗が宣言され、全車がピットに戻った。一旦、全車ピットレーン上で待機となったが救出活動開始前後にレース1の中止が発表される。ユベールはサーキット内のメディカルセンターへ搬送されたが、事故発生から1時間半後に死亡が確認された。コレアは病院へ救急搬送され、集中治療室に入ったものの容体は安定し、両足骨折と軽度の脊髄損傷を負っていることが発表された。

 アレジは跳ね返りによりコースを横断する形となったが、最終的には1つコーナーを曲がったコース右側のランオフエリアに停車し自力で下車。この日、カンポス・レーシングからF2デビューを果たした佐藤万璃音も事故発生時コレアの後方にいたことやそれを受けてコース上で緊急停車したため、一時的な安否不明となったが、自力でコースマーシャルの元に向かう姿が確認され無事であった。

 ピットに戻った時点で各マシンを確認した際、ほとんどのマシンに小さなパーツの破片の当たった形跡があったことも判明。また、コース上に散乱していた破損パーツにより制御を失うマシンが新たに発生しなかったことやコレアとユベールの2台の車両がコースの中央まで弾き返された際、他のドライバーらは寸前のフルブレーキングで回避に成功し、さらなる被害が発生しなかったことが唯一の救いでもあった。

 ユベールの死去を受け、9月1日のスプリントレース(レース2)は彼に敬意を払うべく中止を決断した。 同日、他のレースとなるF1ベルギーGPとFIA F3レース2の前に、1分間の黙祷が捧げられた。 FIAはその後、ユベールが事故当時に着けていたカーナンバー「19」をF2において永久欠番にすると発表した。

 2019年8月31日死去(享年22)


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