若井けんじ


若井けんじ

若井けんじ(わかいけんじ 本名:若井修身 1935年4月18日生)
 [漫才師]


 1935年、両親の巡業先の愛知県で生まれる。1948年、名古屋市の寄席において、「荒川福児・笑児」の名で兄と漫才コンビを組み初舞台を踏む。1957年の新花月のデビューから人気急上昇。1960年10月に「若井はんじ・けんじ」と改名し、道頓堀角座で披露興行を行った。1964年から1973年にかけ、MBSテレビ『ダイビングクイズ』の司会を務め、人気を博した。

 1976年兄の病死と共に舞台も失い失意のどん底にあったが、同様に相方を病で失っていた上方柳次とコンビを結成。コンビ解散後はファンに励まされて、スナックのマスターとなったり、シャッター製造会社を設立したりするなどしたのち、1983年9月に東大阪市議選に出馬し、初当選した。

 2期目を目指した1987年9月には、膝を悪くした影響で選挙活動が思うように行なえず落選、芸能界に復帰。漫談をしていたが、同年自動車事故のため死去した。

 1987年11月26日死去(享年52)


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