ボブ・クラーク


ボブ・クラーク

ボブ・クラーク(Bob Clark 1939年8月5日生)
 [アメリカ・映画監督/脚本家]


 ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれフロリダ州フォートローダーデールで育つ。幼少期に父を亡くし、母はバーメイドをつとめる貧しい家庭に育った。のちにノースカロライナ州にあるカトーバ大学へ進学して哲学を専攻。さらにクオーターバックとしてプレーしていたアメリカンフットボールの奨学金でミシガン州のヒルズデール大学へ進んだ。最終的にはマイアミ大学で演劇を学び、アメリカンフットボールのプロチームからあったオファーを断った。ただし、わずかな間ながらセミプロチームのフォートローダーデール・ブラックナイツでプレーしていた時期がある。

 1970年代初頭にホラー映画の監督をつとめ、この頃から実質的なキャリアを積みはじめる。その初期の映画『死体と遊ぶな子どもたち』はコメディとホラーを融合させた作品であった。本作で脚本とメイクアップをつとめたアラン・オームズビーとは、古典短編小説『猿の手』からヒントを得たベトナム戦争の寓話『デッド・オブ・ナイト』でも仕事を共にしている。殺人鬼映画『暗闇にベルが鳴る』は彼の成功作の一つで、今日のスラッシャー映画の先駆けとして記憶されている。この頃、アメリカのタックス・ヘイヴンだったカナダへと拠点を移して映画を撮りはじめ、まだ規模の小さかったカナダの映画産業においてハリウッド並みの成功をおさめるようになってゆく。

 1975年、テレビドラマ『爆発!デューク』の元ネタとなった『深夜の爆走野郎』で製作総指揮をつとめ、のちに制作された続編のテレビ映画『爆発!デューク ハリウッドへ行く』では製作総指揮と脚本をつとめた。なお、2005年にワーナー・ブラザース製作で公開された続編映画『デュークス・オブ・ハザード』に対しては著作権を争う訴訟を起こしており、ワーナーは公開に先立ち1750万ドルの支払いが命じられた。またそれまでに制作していた作風とはうって変わってシリアスな作品にも取り組んでおり、クリストファー・プラマー、ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド主演の『名探偵ホームズ 黒馬車の影』でジニー賞の監督賞・主演男優賞・主演女優賞を含む5部門で受賞。これに続き監督をつとめたバーナード・スレードの戯曲『Tribute』の映像化作品『マイ・ハート マイ・ラブ』は、主演のジャック・レモンがアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど数々の映画賞や映画祭を賑わせ、監督・プロデューサーとしての幅広い才覚を発揮した。

 その後は再びB級映画路線へと戻り、少年時代をフロリダで過ごした自らの経験をもとに構想を長く温めていた『ポーキーズ』で監督・製作・脚本をつとめる。これが1982年の公開映画のヒット作のひとつとなり、翌年には続編『ポーキーズ2』を制作。また『A Christmas Story』は公開当時こそ商業的に成功したといえなかったものの、ビデオソフト販売や繰り返しテレビ放映されたことによりクリスマス映画の定番となっている。短期間の撮影で製作費を抑え、収益率をより高く定めた映画を作り続けたキャリアに対しては、ハリウッド・レポーター誌が「非凡な映画づくり」と形容した。

 2007年4月4日朝、突然の交通事故により同乗していた息子とともに亡くなった。場所はロサンゼルスのパシフィックパリセーズを通る州道1号線で、対向車線から中央線を越えてきたSUVがクラークのインフィニティI30に突っ込む衝突事故であった。クラークの死後、その生涯と悲劇の死をつづった伝記ドキュメンタリー『ClarkWorld』が制作されている。

 2007年4月4日死去(享年67)





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