平仲信敏


平仲信敏

平仲信敏(ひらなかのぶとし 1968年9月13日生)
 [プロボクサー]


 沖縄県出身。5人兄弟の末っ子であり、元WBA世界スーパーライト級王者の平仲明信は兄。中学3年時にボクシングを始め、沖縄・南部農林高3年時にインターハイフェザー級でベスト8。高校卒業後に海邦国体の団体戦としては最終年の国民体育大会ボクシング競技で決勝戦で沖縄県代表チームとして山梨県代表チームに敗北し準優勝も自身はフェザー級で相手選手にRSC勝、アマチュア通算45勝5敗。

 1988年4月24日、沖縄ボクシングジムからプロデビュー。1989年2月27日、全日本新人王決定戦でフェザー級西軍代表として東軍代表の渡辺司に判定勝ち。1993年に故郷・沖縄を離れ福岡県の筑豊ジムに移籍。1994年1月25日、日本王座初挑戦。世界挑戦経験も有する日本フェザー級王者松本好二(ヨネクラ)と対戦し、10回判定勝ち(3-0)。13戦目で日本王者となった。同王座は2度防衛後、世界挑戦準備のため返上。

 1995年8月13日、無敗のまま16戦目で世界初挑戦。WBA世界フェザー級王者エロイ・ロハス(ベネズエラ)に挑み、ダウンを奪うも、12回判定負け(0-3)で王座獲得ならず、プロ初黒星を喫した。1996年11月2日、世界再挑戦。WBC世界フェザー級王者ルイシト小泉(フィリピン)に挑戦。7回までのフルラウンドでポイントを取られる差を付けられ、8回TKO負け。またしても世界王座獲得ならず。

 1997年、故郷・沖縄に戻り、沖縄ワールドリングジムに移籍。1998年3月2日、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者三谷大和(三迫)に挑戦するが、12回判定負け(0-3)で王座獲得ならず。1998年10月3日、東洋太平洋王座再挑戦。6月に三谷を破ってOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座を獲得した長嶋健吾(18古河ジム)に挑むが、ここでも12回判定負け(0-3)を喫し、またも王座獲得ならず。

 1999年3月8日、日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢(草加有沢)に挑戦し、10回判定負け(0-3)。9ヶ月後の12月13日、有沢に再挑戦したが、4回TKOで返り討ち。この試合が結果的に最後の試合となる。翌2000年3月23日、浦添市を車で走行中にハンドル操作を誤り電柱に激突、翌3月24日に脳挫傷により死去した。31歳の若さだった。生涯戦績は18勝(11KO)6敗1分。

 2000年3月24日死去(享年31)


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