ビル・ヒックス


ビル・ヒックス

ウィリアム・メルヴィン・”ビル”・ヒックス (William Melvin "Bill" Hicks 1961年12月16日生)
 [アメリカ・コメディアン]


 ジョージア州バルドスタ生まれ。ビルが7歳のとき一家はテキサス州ヒューストンに移住した。ヒックスは南部バプテストの敬虔な家庭に育ち、かれは日曜学校に通う他の子供たちの中でコメディアンとしての自分に目ざめたという。17歳のとき、ヒューストンの高校に通いながらコメディアンとしての仕事を開始する。高校を卒業した1980年にヒックスはカリフォルニア州ロサンゼルスに移り、ハリウッドのコメディ・ストアでパフォーマンスを始めるが、ほどなくしてテキサスに戻る。まもなくかれは薬物に溺れるようになり、偽善的な価値観やアメリカン・ドリームといったものを攻撃する芸風を確立しはじめた。

 1980年代後半には人気が高まり、ヒックスはニューヨークに移った。このころから年間300近いセッションをこなすようになるが、薬物の常用ために健康状態は悪くなっていた。1993年、オーストラリアのツアー中に脇腹の痛みをうったえ、膵癌と診断される。なお、同年10月には彼が収録した『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』のためのコントがまるごと削除されるという、米国のコメディ史上初の事件が起きた。

 1994年1月、ニューヨークで最後のセッションを演じた後、ヒックスは両親の住むアーカンソー州リトルロックに戻った。彼はそこで友人たちを呼び、別れを言うことができたという。1994年2月26日の夜、ヒックスは両親に見守られながら永眠した。
 
 ヒックスの多くの演技はショッキングかつ厭世的なものであり、彼は伝統的な価値観や妊娠中絶、ドラッグ、ホロコーストなどについて物議をかもすコメントを多く残している。たとえばドラッグについて、彼は「偉大な音楽はすべてドラッグのおかげで生まれた。だからドラッグに反対する人々は今すぐ自分の持っているCDを燃やすべきである」と発言した。またホロコーストについては、1989年のシカゴ公演で「ヒトラーの考えていることは正しかったが、やり方が不十分だった」と発言している。この発言はのちに反ユダヤ的であると非難されるが、彼のこの発言はユダヤ人だけでなく、人類すべてをあまねく虐殺すべきだという意味であった。ヒックスはその後も繰り返しヒューマニズム(の欺瞞と彼が考えるもの)に対する嫌悪を表明している。なお、かれの死後もその影響は大きく、2005年におこなわれたThe Comedian's Comedianの投票で、ヒックスは歴史上もっとも偉大なコメディアン20人の中に選ばれている。

 1994年2月26日死去(享年32)


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