ティナ・チャウ


ティナ・チャウ

ティナ・チャウ(Tina Chow 1950年4月18日生)
 [アメリカ・ファッションモデル]


 1950年、オハイオ州のレイクヴューに生まれる。父親はドイツ系アメリカ人で、母親は日本人だった。両親は父親がアメリカ軍として日本に駐在していた時に出会っている。

 その後、一家はオハイオ州へ移住したが、1960年代中盤に一家で来日。日本へ渡ってからは、2歳年上の姉のバニー・ラッツと共に上智大学へ在籍し、その整った美貌がモデル・エージェントの目に留まり、姉のバニーと共に「ティナ・ラッツ」の本名で資生堂の広告塔としてポスターやテレビ・コマーシャルに起用された。さらには資生堂以外にも不二家のテレビコマーシャルなどへも出演し、当時日本国内ではハーフ・モデルとして幅広く認知されている。日本でのモデル活動は、結婚を機に渡英する1970年前半まで続け、ファッション・アイコンとして活躍した。

 22歳の時に、ロンドンでレストラン経営をしていたマイケル・チャウと結婚したのを機に渡英。結婚後は「ティナ・チャウ」としてジュエリーデザイナーとしての才能も発揮。彼女によるジュエリーは、ニューヨークやロサンゼルス、シカゴなどの都市で個展も開かれた。渡英後は、夫マイケルのレストランの常連客でもあったアンディ・ウォーホルやキース・ヘリングなどの名だたるアーティストたちとの交友を結び、ミューズとして彼らの手掛けた作品にも登場している。

 その後、二児の母親にもなり、娘のチャイナ・チャウは、アメリカで母親と同じくファッションモデル、女優として活動。 姉のバニー・ラッツはアデル・ラッツの名前で映画やミュージシャン向けの衣装デザイナーとして活躍した。夫のマイケルは、1968年にロンドンに高級中華レストラン『Mr. Chow(ミスター・チャウ)』をオープンさせ、その後はロサンゼルス、ニューヨークなどアメリカへも出店。特に中華料理にも関わらず高級志向で洋風な雰囲気作りがハリウッドのセレブ達の人気に火が付き、マイケル自身も著名なレストラン経営者として知られている。しかし1989年、マイケルとティナは離婚した。

 1980年代後半にエイズの宣告を受け、当時は治療するための薬がなかったため、病はそのまま進行し、1992年に帰らぬ人となった。晩年は、自身の他にもエイズに苦しむ患者を支えるためにホスピスを開設したり、エンジェルフードという支援プロジェクトにボランティア参加したりと、エイズに対する啓もう活動に積極的に参加した。

 1992年1月24日死去(享年41)


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